モネは60歳以降、白内障に苦しみました。
当時、絵の評価は良くはなかったそうです。
一般人は白内障になっても
少しずつ進行していくせいか、それほど視覚的に色彩の変化に気がつかないです。
モネは天才だったが故に、
今まで見えていた世界が違う色になっていくことに苦しんだと言われています。
(白内障に苦しんだ)
無知な私でも知っているクロードモネの睡蓮。
上野の不忍池にも蓮の花が咲くのをご存じですか。
亡き父が蓮が好きで、今回モネ 睡蓮のときを観に行くことにしました。
木々や雲や花々が一体となって
たゆたう睡蓮の池の水面に
森羅万象が凝縮された
「さかさまの世界」
*エピローグ さかさまの世界より抜粋しました。
モネと白内障
白内障を調べたところ、なんと説明にモネのことが書かれていました。
1900年、60歳の時の絵と
1923年、83の時の絵が
これほど違う、
これほど違う絵になるのかと
とても驚きました。
↓は特別展展示で、1番最初に観るところ。
モネ 睡蓮のときは国立西洋美術館(上野)で開催されています。
東京開催
2024年10月5日(土)~2025年2月11日(火・祝)
チケット売り場が混雑していることも考え、電子チケットを購入しました。
すでに安い前売り券2100円は売り切れ。
当日券2300円を購入しました。
電子チケットは少し慣れてきました。
これで3回目。
スマホを忘れたら、チケット忘れたと同様になります。
このバーコードを入場の時にかざします。
平日なのにチケット売り場は行列していました。
並ばないで、
その場で電子チケットを購入した方が早いのではないかと思いました。
せっかちなんで。
作品名と制作年をご紹介致します。
1・セーヌ河から睡蓮の池へ
1.舟遊び 1887年
3.陽を浴びるポプラ並木 1891年
4.ポール=ヴィレのセーヌ河、ばら色の効果 1894年
5.ポール=ヴィレのセーヌ河、夕暮れの効果 1894年
6.ジヴェルニー近くのセーヌ河支流、日の出 1897年
7.セーヌ河の朝 1897年
8.セーヌ河の朝 1897年
9.柳 1897年ー1898年
10. ヴェトゥイユ 1902年
11. チャーリング・クロス橋 1899年-1901年頃
12. チャーリング・クロス橋 1899年
13. テムズ河のチャーリング・クロス橋 1903年
14.チャーリング・クロス橋、ロンドン 1902年頃
15. ウォータールー橋、ロンドン 1902年
16.睡蓮、夕暮れの効果 1897年
17.睡蓮 1897年ー1898年頃
18.睡蓮 1903年
19.睡蓮 1906年
20.睡蓮 1903年
21.睡蓮 1903年
22.睡蓮 1907年
23.睡蓮 1907年
*ウキペディアによると
モネは、
1886年には経済的に安定していたとのことです。
(モネ46歳)
1883年、モネ43歳くらいの時にノルマンディー地方の小村シヴェルニーに引越します。
1890年、土地と家を買い取り、終の棲家としました。
モネが同一のモティーフを異なる時間や天候のもと、繰り返し描く、連作の手法を確立した時期でもありました。
1890年後半に主要なモティーフになったのは
訪れたロンドンの風景やセーヌ河の風景でした。
屋敷の見取り図がありました。
1893年には睡蓮の池を造成し、
セーヌ河の支流から水を引いたそうです。
池の拡張工事を経た1903年から1909年までに手掛けられた約80点に及ぶ「睡蓮」連作において、
モネはその水面へと興味を変えていきました。
実景の描写から
水平線のない水面とそこに映し出される反映像、
そして光と大気が織りなす効果のみが
画面を占めるようになりました。
ということで、素人はじっくりと観て、
水面と反映像のくくりがぼんやりと見えてきて、
本当に霧の中というか幻想的な絵に引き込まれました。
拙い言葉ですみません。
アトリエは3つもありました。
さすが、巨匠。
2.水と花々の装飾
24.黄色いアイリス 1914年ー1917年頃
25.黄色いアイリス 1924年ー1925年頃
26.黄色と紫のアイリス 1924年ー1925年頃
27.アイリス 1924年ー1925年頃
28.キスゲ 1914年ー1917年頃
29.睡蓮 1914年ー1917年頃
30.藤 1919年ー1920年頃
31.藤 1919年ー1920年頃
32.睡蓮とアガバンサス 1914年ー1917年頃
33.アガバンサス 1914年ー1917年頃
34.睡蓮 1914年ー1917年頃
35.睡蓮 1914年ー1917年頃
*ここで、1番良かったのは藤でした。
モネは絵具をパレットで混ぜずに素早い筆さばきでキャンバスにのせていくそうです。
無知な私が持った感想は
水彩画みたいにも見えるな
でした。
1914年、モネは74歳くらいです。
3.大装飾画への道
36.睡蓮 1916年ー1919年頃
37.睡蓮 1914年ー1917年頃
38.睡蓮 1916年ー1917年頃
39.睡蓮 1916年ー1919年頃
40.睡蓮 1916年
41.睡蓮の池 1917年ー1919年頃
42.睡蓮、柳の反映 1916年ー1919年頃
43.睡蓮、柳の反映 1916年ー1919年頃
45. 睡蓮、柳の反映 1916年
こちらの部屋は写真撮影が出来ました。
タイトルと画像が合っていない可能性がありますので、参考までに観てくださいね。
そしてこの1枚は何かのデッサンだったような気がします。すみません。
柳の反映(柳が水面に反映してます)かな。
思い出せません。
1914年以降のものは画面の大きさが
1909年までのものの4倍の大きさになりました。
1914年は第一次世界大戦が勃発した年です。
モネは広大なアトリエを建設しました。
しばしば、幅4メートルにも達する装飾パネルの制作に取り組みました。
国立西洋美術館の基礎を築いた松方幸次郎は
モネが唯一巨大な装飾パネルの一つを売ることを認めた相手でした。
No.45の睡蓮、柳の反映が松方コレクションの1つです。
4.交響する色彩
46.睡蓮の池 1918年ー1919年頃
47.日本の橋 1918年
48.日本の橋 1918年
49.日本の橋 1918年ー1919年頃
50.日本の橋 1918年ー1924年頃
51.日本の橋 1918年ー1924年頃
52.日本の橋 1918年ー1924年頃
53.日本の橋 1918年ー1924年頃
54.日本の橋 1918年ー1924年頃
55.枝垂れ柳 1918年ー1919年頃
56.枝垂れ柳 1918年ー1919年頃
57.枝垂れ柳 1921年ー1922年頃
58.シヴェルニーの庭 1922年ー1926年頃
59.ばらの小道、ジヴェルニー 1920年ー1922年頃
60.ばらの小道 1920年ー1922年頃
61.ばらの小道 1920年ー1922年頃
62.ばらの庭から見た画家の家 1922年ー1924年頃
63.ばらの庭から見た家 1922年ー1924年頃
64.ばらの庭から見た家 1922年ー1924年頃
65.ばらの庭から見た家 1922年ー1924年頃
*このお部屋にある20点の作品は全て
マルモッタン・モネ美術館の貯蔵品です。
1908年から白内障の症状が出てきてしまいましたが、
1923年まで手術を拒んでいました。
不確かな視覚に苛まれる中にありながら、
画家として衰えることのない制作衝動と
経験から培われた色彩感覚に基づく実験精神を伝えてくれました。
画家の身振りを刻印する激しい筆遣いと
鮮烈な色彩は
のちに1950年代のアメリカで台頭した
抽象表現主義の先駆に位置づけられ、
モネ晩年の芸術の再評価を促すことになりました。
ブラボー!
素人感想です。
『日本の橋』はどこが橋だかわからなくて、
『ばらの庭から見た家』もどこがモネのお屋敷なんだ?という印象なのです。
私だけかと思いきや、鑑賞者の方々からは同じような言葉が聞こえてきました。
エピローグ さかさまの世界
66.枝垂れ柳と睡蓮の池 1916年ー1919年頃
67.睡蓮 1916年ー1919年頃
大きな絵でした。
まとめ
常設展の方にもモネの作品がありましたので、撮ってきました。
タイトルはしゃくやくの花園
特別展 『モネ 睡蓮のとき』
は最初の部屋 に入った10時45分から、
最後の部屋を出る 12時15分まで
普通に鑑賞して約90分かかりました。
土曜日曜祝日は鑑賞者の方々が多いはずなので、
もっと時間がかかると思います。
常設展は特別展のチケットで入れるので、観た方が良いですが、
90分立ちっぱなしはかなり疲れますので、一度休憩してからでもいいかなと思います。
ショップ
モネ 睡蓮のときの特設ショップは激混みでした。外にも人が並んでいました。
なので、普通のショップに売っているモネグッズを購入して帰りました。
上野といったら、豚カツでしょ
常設展を上っ面だけ鑑賞し、
(ルノワールもありました。)
山家(やまいえ)さんを目指しました。
ヒレカツ定食1050円に
単品で海老フライ290円をつけました。
午後2時になっていましたが、海外旅行者で行列でした。
ここは安くて美味しいのです。
歩いて疲れてましたが、
豚カツで元気になり、秋葉原まで歩いちゃいました。
豚カツパワーすごい。
お読みいただきありがとうございました。