小山田圭吾 現在検索トップ 大会組織委員会はどうやって選んだのか。 オリンピックパラリンピックの楽曲提供者にはなれない人物。

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過去の事で現在は反省をしているからいいと言う人もいるかとは思います。

その当時これは出版されたということで時代背景を考慮すべきという意見もあります。

でもこれを読んだ人は「若気の至り」ではくくれない悪人だと認定すると思います。

ロッキオンジャパン1994年1月号↓

「全裸にしてグルグルにひもを巻いてオナニーさしてさ。ウンコを喰わしたりさ。喰わした上にバックドロップしたりさ」(大笑)

「だけど僕が直接やるわけじゃないんだよ、僕はアイデアを提供するだけ(笑)」

読みやすいように画像をデカくしております。

障害を持つ方は生まれつきの方もいらっしゃれば、病気で障害を持つことになった方もいらっしゃいます。

1994年、それを武勇伝のように語る小山田圭吾さんには平和の祭典の楽曲を担当していただくのは違うと思います。

1994年当時、もしそれを読んでいたら問題にはなっていたと思います。

一部の方しか購読されない雑誌なのかもしれません。

まだインターネットが普及していない時代でした。

和光小学校中学校高校はこの方のせいで、評判が落ちますね。

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