和歌山カレー事件⑦ 和歌山カレー事件獄中からの手紙/林眞須美・林健治・篠田博之著 を読んで。死刑執行があるたびに次は自分だと怯える。

カレーライス 生活・暮らし・家族

林眞須美という人間を知るには、この獄中の手紙を読むとよくわかります。

先日読んだ「死刑判決はシルエットロマンスを聴きながら」

は子どもにあてた手紙が多く、

彼女が逮捕されるまでは母親であり、

逮捕後も子どものことを心配する母親であったと思い知らされます。

和歌山カレー事件 経緯

1998年7月25日 園部第十四自治会夏祭り当日、67名が被害、4名死亡。

最初の報道は食中毒。

翌日、

亡くなった方から青酸化合物が出て、死因は青酸化合物と報道されます。

その後、ヒ素が検出されます。

1998年10月 4日 林夫妻が保険金詐欺で逮捕。

1998年12月 9日 林眞須美さんがカレー事件で逮捕。

(カレー事件での逮捕の前に保険金詐欺で3回の再逮捕、カレー事件で起訴する為の証拠等を集めていたと言われています。)

1998年12月29日 林眞須美さん、カレー事件で起訴。

1999年 5月13日 和歌山地裁でカレー事件第1回公判。

2000年10月20日 林健治さんが保険金詐欺で懲役6年の実刑判決。

2002年12月11日 林眞須美さんの1審死刑判決。

2004年 4月20日 大阪高裁で控訴審始まる。

2005年 3月23日 林眞須美さん、接見禁止が解除。

    6月 7日 林健治さん、滋賀刑務所より出所。

    6月28日 林眞須美さん、控訴棄却の判決。

2006年 1月22日 林眞須美さんを支援する会初会合。

2009年 2月24日 最高裁口頭弁論。

    4月21日 最高裁で上告棄却。

    7月22日 再審請求書提出。

2013年12月13日 大阪拘置所の接見制限に対する国家賠償請求訴訟提起。

*和歌山カレー事件の最初の記事に詳しく書きました。

あらすじ

本を出版したところは創出版です。

』(つくる)は、東京都新宿区四谷に本社のある、有限会社出版が発行するマスメディア批評を中心とした日本の月刊です。

そこの編集長がこの著書のひとり、篠田博之さんです。

なので、この本は林眞須美さんが篠田博之さんに宛てた手紙を「創」に掲載した後、

それをまとめた1冊です。

1度「創」を図書館で借りたことがありますが、同じ内容だったと思います。

林眞須美さんの手紙からは

獄中生活のことや裁判のことが書かれていて、とても興味深いです。

林眞須美さんは保険金詐欺についてはすぐ容疑を認めましたが、

カレー事件では黙秘をしました。

理由は

弁護士さんからの指示という話や林眞須美さん本人がそう決めたという話があり、不確かです。

あなたは口が達者だから、裁判が長引くということで、何もしゃべらない方が良いという話でした。

それから、

彼女が発言することで、夫、健治の裁判も長引くという駆け引きの意味もありました。

夫の出所が遅くなると、子ども達の世話をしてくれる人がいないので、

林眞須美さんは悩んだだろうなと思います。

しかし、

実際、林健治さんが出所しても子ども達は一緒に生活はしていません。

黙秘したことで、

1998年10月4日に逮捕されてから2005年3月まで接見禁止という異常な扱いを受けました。

外部とのやり取り、手紙などを受け取ったり、出したりできませんでした。

司法にたてつくと、こうなる、こうしてやるという恐ろしい現実です。

林眞須美さんはそれにも負けずに弁護人を通して、子どもや夫と連絡を取っていました。

彼女は逮捕後、すぐにはノートや筆記用具も持たされない扱いをされましたが、

手に入るようになると

それまでのことをノートに書き記しています。

死刑囚と懲役刑の囚人との差

死刑囚は懲役囚と違い、刑務所の中での作業はありません。

死刑囚は個室です。

二種房という部屋。

夏期処遇の時は窓上下に鉄製の網戸がついています。

冬期処遇になるとその網戸を外すみたいです。

廊下側には食器こうの窓ともう一つ上に窓があり、

網戸を外す作業をそこから覗くと、

他の収容者は木の枠で作った昔風の網戸で

歪みきった木の枠はカビだらけでブルーの網が伸びきっています。

しかもカビ臭くて、鉄製で良かったと思ったらしいです。

しかも隙間だらけの網から蚊が入ってきて、

毎夜職員さんが、殺虫剤を使用するかどうか聞きにきていたそうです。

冬期処遇

布団上下と二重毛布3枚と綿毛布が使用できます。

彼女は友人からのプレゼントを使用しています。

衣類では手袋、オーバー、ガウン、丹前、はんてん等も使用可能です。

使い捨てカイロ10個入り350円を購入できます。

去年は靴下を3~4枚重ねてはき、

毛糸のレッグウォーマーをはき、

上下とも4~5枚を着ていたそうです。

運動は月・水・木の週3回、

入浴は火・金の週2回になりました。

夏は暑くて虫も入り、冬は非常に寒くて、外にいるようです。

お洗濯事情

朝食後に受刑者の人がパンツを回収してくれます。

パンツは毎日洗ってくれるのですね。

他の

衣類・枕カバー・座布団カバー・タオル等は入浴日の火・金の朝食後に10点まで、

称呼番号を記入した短い二重の紐がついた布の札をそれぞれにつけて出します。

受刑者の人が運動場の物干し場に干してくれて、夕方5時くらいに戻してくれるそうです。

この洗濯は希望者のみで、

入所時に

「当所で無料洗濯して戴くことについて一切不服は申しません」という申込書にサインするらしいです。

布団干しは3ヶ月に1回くらい、

ヘアカットは3ヶ月に1回、

顔剃りは1ヶ月に1回です。

「生活のしおり」というものが存在するらしく、

1ヶ月に2回と記されていると苦情を言ったら、

忙しいからとの理由で却下されたみたいですね。

死刑囚の1日

死刑囚官房にいれられた収監者達は称呼番号の末尾がゼロで終わります。

例えば二五〇番とか四一〇番とかです。

なので、死刑囚官房は通称ゼロ番区と言われるそうです。

林眞須美さんは全く知らなかったそうなのですが、

差し入れされた本を読んで、ドキっとしたそうです。

大阪拘置所では

午前7時半のアマリリスのリズムで目覚め、午後9時のチャイム音(学校と同じ)がなり、

就寝音楽が5分流れます。

3ヶ月ごとに変わり、全部オルゴール音で流れます。

大阪拘置所では週2回生花を購入できます。

それをプラスティックの花瓶に挿し、1日に何度も水を換えています。

窓からは季節を感じる桜なども見えます。

自分一人だけの時間が持てるので、ゆっくり読書するようにもなりました。

1日2回の発信は7時半と13時の2回受け付けてもらえます。

3食は量も多いです。

祝日にはおやつとして何か一つが昼食についてきます。

たくさんの差し入れ

44歳の誕生日には激励してくださっている大勢の方より、

切手・本・衣類・タオル・半タオル・布団上下・シーツ上下・枕・ピローケース・座布団・座布団カバー・二重毛布・タオルケット・眼鏡・眼鏡ケース・眼鏡拭き・キティちゃん電報・ディズニーキャラクターの鉛筆・キテイちゃんのクシがプレゼントとして届けられました。

林眞須美さんには夫と4人の子ども以外にもたくさんの支援者がいて、

日頃から手紙や差し入れがあるようです。

もう25年間も収監されているわけですが、

今もそうなんだろうなと思います。

長男さんが2019年Twitter(現在はX)で発信し始めてから、支援者も増えたと思います。

私は彼のTwitterを読むためにTwitterにアカウント登録しました。

林眞須美さんの性格

言いたいことを自分の言葉で言える人間だと思いました。

刑務所内の改善点に対しても、しっかり意見を述べているようです。

それが叶えられるかどうかは別としてもです。

最初は接見禁止とされ、かなりきつかったと思います。

精神面でのお薬も飲んでいたようです。

ですが、接見禁止が解除され、自分宛の大量の郵便物を見た時、

彼女は生まれ変わったのです。

彼女は刑務所内の職員さんに対して、感謝の気持ちを忘れていません。

裁判に出廷する時、彼女は勝負の色、赤を身に付けたり、お気に入りのワンピースを着たりしています。

通常であれば、地味目なスーツを着用するのだろうけれど、

彼女はやましいことはしていない、自分に自信をもっているとの思いがあり、

むしろ、自分の姿を目に焼き付けて残したいと思っているのです。

裁判所への出廷

判決を言い渡される林眞須美さんは出廷したくないと思っていました。

出廷しなくてもいいらしいというのはそれで知りました。

家族や友人は彼女の性格を知っているので、

絶対に出廷するようにと前日着の郵便で手紙を出しています。

愛されているなと思いました。

三浦和義さん死去

再審請求をする弁護士さんを見つけてくれました。

2008年春、旅行中のサイパンでアメリカの警察に逮捕され、

10月にロサンゼルスに移送され、直後突然の死を遂げてしまいました。

ロス市警の留置所で自殺と報道されています。

三浦和義さんは妻を保険金詐欺で殺したと言われ、

ロス市警に逮捕されましたが、その後無罪になっています。

林眞須美さんの事件報道逮捕を見て、

接見禁止が解除されてから、面会し、

彼女を支援する団体を発足させたそうです。

安田好弘弁護士

オウム真理教麻原彰晃の主任弁護士。

山口県母子殺人事件の主任弁護士。

現在は林眞須美死刑囚の主任弁護士を解任されています。

まとめ

1998年7月25日からもう25年が経過しました。

現在、生田暉雄弁護人が主任弁護士となりました。

先日倒れたとのことで、生田暉雄弁護人のお身体と林眞須美さんの今後がどうなるのかとても心配しています。

お読みいただきありがとうございました。

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