「小さいおうち」中島京子著を読んで。

小さいおうち表紙 映画鑑賞

映画を観て、原作を読んでみました。

読後、これは板倉の物語だと思いました。

そして2日後、時子の物語に変わりました。

登場人物

平井時子———-奥様

平井家の旦那様—————-玩具会社の常務取締役

平井恭一———時子と前夫との子ども

板倉正治———–平井の会社の新入社員、美大卒、戦後漫画家 イタクラショージ

布宮タキ-——–尋常小学校卒業後、女中奉公で東京に出る

松岡睦子———–時子の女学校からの友人 

小中先生———タキの最初の奉公先・小説家

麻布の奥様——時子の姉

正人—————麻布の奥様の子ども

あらすじ

今はない家と人々の忘れがたい日々の物語。

昭和初期東京、戦争の影が濃くなる中での家庭の風景や人々の心情、

女中回想録(心覚えの記)に秘めた思いと意外な結末が胸を衝きます。

詳しいあらすじに感想を織り交ぜて

赤色マーカー——–感想

水色マーカー——-本文をまま引用した部分です。

最初の奉公先 小中先生

タキの最後の女中奉公先となったのは渡辺家です。

出版社勤めのお嬢様の勧めで「タキおばあちゃんのスーパー家事ブック」を出版します。

だいぶ売れたそうです。

甥の協力で株売買をしたり、老後を楽しんでいます。

米寿を迎え、次の本の構想を練りながら、物語はまた始まっていきます。

女中奉公で東京に向かったのは尋常小学校卒業後の春ということで12,3歳です。

昭和初期は女中奉公というのは嫁入り修行的なところもあったそうです。

今ではお手伝いさんがいるお家は限られた裕福なお宅のイメージがありますよね。

嫁入り前の女の子が家事を学ぶ場所だなんて考えると

現在ではおかしな話ということになります。

が、家事見習いで他の家で腕を磨く、教えてもらえるというのもずっと親元にいるよりいいと感じる人もいたと思います。

最初の奉公先は大塚にある小説家の小中先生のところです。

そこでこんなお話を繰り返し聞かされます。

「ここは掃除しなくてかまいませんよ。」

「ごみだと思ってね、うっかり原稿を焼かれてしまっては困るんだ。

昔、イギリスにそういう女中さんが居て、ご主人が友達から預かったたいへん大切な論文を、暖炉にくべて焼いてしまったそうですよ。」

「その女中さんのご主人様は学者さんで、原稿を預けた友達も学者、2人は言わば、仕事上のカタキ同士みたいなもんだったんだ。友達の学者は何十年もかかって、論文を書き上げた。一方女中さんのご主人様の方はまだ著作を出せる段階ではなかった。ご主人は友人をやっかまなかっただろうかねえ。もしこの友人の論文が、一瞬にして灰になってしまったら、どうだろう。友人はもう一度、その膨大な原稿を書き直さなければならない。あるいはその著作を世に問うことをあきらめるかもしれない。その間に自分は友人に一歩先んじることもできよう。そんな想像が、一瞬でも、ご主人の頭をよぎらなかっただろうか。」

ご主人様の立身出世を願う心から、むしろ率先して、ライバルにあたる友人の原稿を焼き、

自ら、その罪をかぶった

ということが何年もたって、タキの心にすとんと落ちてきます。

時子(奥様)との出会い 浅野家に奉公

借家の並ぶ路地から、白地に青い水玉模様のワンピースを着て飛び出してきた。

わたしは初めて、本物の都会のお嬢様を見た思いがした。

とタキは語っています。

時子に一目惚れをした瞬間です。

時子は22歳、タキは14歳。

前夫の姓は浅野で恭一という子どもがいます。

奉公したその年にご主人は事故死します。

赤い三角屋根のおうち

時子はお見合いで平井と結婚します。

口説き文句は「すぐにも家を建てます。赤い瓦屋根の洋館です。」

3年目にその家は建ちました。

時子は赤い屋根のおうちが大変気に入っています。

タキも自分の部屋が好きで好きでたまりません。

「奥様、わたし、一生、この家を守ってまいります。」

こんな健気で一生懸命なタキちゃんをかわいがらないはずはないと感じます。

平井家はいつも和やかで、ご夫婦仲もよく、ぼっちゃんも旦那様によくなついています。

2人の間にお子さんができないのは仲が良すぎるからだと噂されるくらいです。

昭和11年秋、1人の青年が家の前にイーゼルを立てて、絵を描いています。

ここは忘れてはいけない場面だと思うのです。

鎌倉の別荘 板倉との出会い

夏に社長さんの鎌倉の別荘に招待されます。

小児麻痺で足が悪い恭一ぼっちゃんをおぶるため、タキも一緒です。

そこで美術学校を卒業したばかりの板倉を紹介されます。

タキは仕事のある旦那様と家に帰りますが、

時子と恭一は2週間別荘に残ります。

この頃、

タキは旦那様が「男の人の匂いがしない」と気づきます。

タキは処女だ、

しかし女子特有の感みたいなものが働いたのかもしれないです。

2週間後、2人を迎えに行ったとき、鎌倉で偶然板倉に会います。

そこで美術学校時代、下宿が近くにあり赤い屋根のおうちを写生したことがあると聞きます。

女学校からの親友 睦子さん

睦子さんは時子の女学校時代のお友達です。

主婦の華という出版社にお勤めです。

ヘレンケラーの記事で大当たりしたそうです。

暮れの掃除とお正月の支度

暮れは障子の張替え、カーテンや椅子カヴァーのお洗濯、お勝手の床下や天井や鴨居の拭き掃除、壁掛けの清拭きをします。

ガラスは酢を混ぜた水、畳は硼酸入りのぬるま湯、油染みた台所の什器やガラス戸は粉石鹸を溶いた水で拭いて、それをまた酢水で拭き直して、から拭きをしてと手をかけます。

清拭きーーー濡れた布でふいた後、仕上げとしてさらに乾いた布でふくこと。

少し前はお掃除ひとつとってもとても大変です。

今でも役に立つ情報があふれていると思います。

お正月の支度はお餅や乾物やお野菜を無駄のないようにしかし足りなくて困ることがないように

出入りの御用聞きに発注します。

冷蔵庫がない時代ですから

お肉やお魚は大晦日の朝に届けてもらいます。

タキはやりくりのコツをこの頃覚えたと言っています。

台風の夜、板倉がやってくる。

台風の夜、

板倉が「旦那様が今日は帰れない」と伝言しに来ます。

ついでに2階の客間の窓の修理をしてくれます。

結局その晩は泊まっていくことになりました。

雨に濡れた身体に暖を取りながら、

板倉と時子が話をしています。

タキは今年も鎌倉の別荘で会っていたことを知ります。

タキはショック、寂しさを感じたと思います。

控え目な性格で、自分からは夏の別荘の様子等は聞けなかったと思います。

どうしてお話してくださらなかったのか、そう思ったはずです

タキ21歳、縁談の相手は50代の教師。

お相手は結婚が3回めで、子どもが3人、年齢はタキより上で孫もいるような方。

タキが女中部屋で泣いていると時子が入ってきて、破談にしてくれました。

若い人は召集でどんどんいなくなってしまう時代でした。

家付き女中のプライド、キャリアウーマン的な。

回想で

ご近所の方と防空演習に参加したり、贅沢品が手に入りずらくなっても切らさないようにしたりとタキはテキパキと仕事をする自分を現在でいうキャリアウーマンに例えています。

小学校卒業後に上京し、約9年。

女中としての仕事に自信を持ち、ノリに乗っていたのではないかと思います。

昭和11年以降 日本の食料事情等

東京オリンピックや札幌オリンピックの開催が見送られました。

昭和14年9月、毎月一日は興亜奉公日になりました。

興亜奉公日:毎月一日に兵隊さんの労苦を思い、贅沢をつつしむ日で、お国が決めてみんなでやっていました。

日本に食料があることをたいていの人が疑っていませんでした。

万が一のために備蓄が必要でそれをお国が統制しているから手に入りにくくなった

と思っていたようです。

お相撲は「双葉山」が強かったみたいです。

まだまだ国民には余裕がありました。

タキは旦那様に言われ、

鎌倉の社長さんの別荘に行っている時子と恭一を迎えに行きます。

旦那様から「少し早めに出て、潮風を浴びるといいよ。」とも言われていました。

鎌倉から江ノ電に乗り換えて、長谷の大仏を訪ねることにしました。

そこで大仏に駆け寄る恭一ぼっちゃんを見かけて、

自分が悪いことをしている気持ちになり逃げるようにその場から立ち去ります。

そして若い男の人とすれ違います。

詞にも 歌にも なさじ わがおもひ その日そのとき 胸より胸に

嵐の夜の匂いが香ってきた気がします。

タキは

板倉とすれ違ったとはあえて言いませんでした

回想録に残すことを意識的に避けたのかもしれません。

鎌倉から帰った時子が、応接間の飾り棚に与謝野晶子の歌集をしまいました。

最初に鎌倉を訪れてから、3回目の夏の出来事でした。

板倉正治にお見合い話

旦那様の業務命令で時子が板倉にお見合い話をすすめることになりました。

板倉は

「そんなことを言われるとは思わなかったな」

「そんなことをなぜ、あなたが言うんですか」

と断ります。

貴女(時子)が好きだということはおわかりなのに、なぜそんなことを言うのか

という問いかけに聞こえました。

9月に入ってから板倉の下宿で説得をしますが、

「だめなのよ。板倉さん、会ってみる気がないんですって」

翌週、

地味な絣に博多織一本独鈷の帯を締めて時子奥様にしてはいくぶん男勝りな、

どこか決意の感じられるお着物で

また板倉の下宿先に行きました。

帰宅後、着替えに向かう時子を見て、タキは驚いてしまいます。

後姿の帯の模様がいつもと逆になっていました。

閉まった障子の奥で奥様が帯を解かれる衣擦れの音が聞こえた。

あの独鈷の帯が解かれるのが、その日、初めてではないのかもしれないと思うと、心臓は妙な打ち方をした。

それから二度、奥様は板倉さんのアパートに出かけた。

二度とも洋装で、

タキでなくてもドキドキしてしまう場面です。

吉屋信子著 黒薔薇くろしようび

時子の留守中に睦子さんがいらっしゃいます。

タキは睦子さんに奥様が変だと告げます。

睦子は

女学生のころ、とてもきれいだったのよ、時子さん。そりゃ、あんなきれいなお嬢さんいなかったわ。みんな好きになっちゃうのよ。

そして朗読を始めます。

男女相愛の道程を辿るのは人類の第一の本道であるにちがいない、

けれどもなお第二の路はあるはずだ。そしてまた同時に第三の路も許されていいはずだ。相愛の人を得ずして寂しいながらも何か力いっぱいの仕事をして生きてゆく人のためにこの路はやはり開かれてあるわけだ。

吉屋信子先生の小説の一部です。

戦後、タキは

けれどもなお第二の路はあるはずだ。の次の文章を見つけます。

それは同性相愛の道程を辿りゆく少数の許されねばならぬ路ではあるまいか

第一の本道が男女の愛、

第三は愛する人は得られなかったけれど、仕事をして生きていく路、

第二は男性同士、女性同士の愛、少数だけれども存在している人たちの路があるということ。

睦子さんは第二と第三の路を進んでいたのかもしれません。

睦子さんは時子さんを愛してやまないけれど、報われないことを知っています。

黒薔薇という小説を糧にしていたと考えられます。

板倉と時子が変だとタキが訴えても

時子は魅力的だからみんな好きになってしまうから仕方ないと

だって私もそうなのだから仕方ないと叫んでいるような気がします

板倉に召集令状

歴史おさらい

昭和16年12月8日 開戦 真珠湾

昭和17年4月18日 昼間 東京初空襲 太平洋戦争ミッドウェー海戦

昭和18年 夏 山本五十六連合艦隊司令長官戦死 アッツ島玉砕

指輪や宝石、金属類、犬をお国に差し出す。

昭和20年3月 東京大空襲

恭一ぼっちゃんは仲良しのタッちゃんと喧嘩をします。

「お前の母親が若い男と歩いているのを見たぞ」

タキは悩みます。

時子がお見合い話で板倉の下宿を訪れていたころから2年くらいたっているので

2人が会っているとは思えませんでした。

タキの悩みは相当だったと思います。

自分が仕切っていると思っていた家族に

何かとんでもないことが起こるのではないかと

追い込まれていくような気持ちになったと思います。

時子は

召集令状が来た板倉を食事に招待しました。

弘前へはあさって帰ると言っていました。

板倉の下宿に行こうとする時子を止めるタキ

「タキちゃん、ちょっと、出かけるわ」

わたしの中に、二人のわたしがいて、一人は逢わせてはいけないと言う。戦時下にそんなことをするなんて絶対にいけないと、そのわたしが言う。

もう一人のわたしは、逢わせてさしあげなさい、と言う。もうこれきり逢えないかもしれないのだから、逢わせてさしあげなさい、と言う。

タキは時子に手紙を書くようにすすめます。

時子はタキが全て知っていることを知ります。

昭和19年3月タキ田舎へ帰る

田舎へ帰ったタキは学童疎開してきた東京の子どもたちのお世話をかってでます。

そして

昭和20年3月六年生を引率し東京に向かいます。

平井家を訪れ、時子と短い時間を過ごします。

家に帰ったとわたしは思った。

タキの気持ちが痛いほどよくわかる場面です。

タキは田舎の実家ではなく、赤い屋根の家が自分の家だと実感しています。

翌日か翌々日3月10日東京大空襲で、帰京した小学生が罹災したことを聞きます。

それでもタキの毎日は続きます。

8月15日 お寺のラジオで玉音放送を聴きます。

戦争は終わったのだ。

イタクラショージの小さいおうち

1942年[The Little House]バージニア・リー・バートン著 出版されます。

板倉が持っていたのは英語の原書だそうです。

[The Little House]は家が主人公です。

一方、

イタクラショージの小さいおうちには三人の登場人物がいますが、

三人の関係性はわかりません。

彼が残した遺言状には、家の詳細なパースが挟まれていたという。

その三人は時子・恭一ぼっちゃん・タキだと思い浮かびます。

タキと甥の健史の関係

小説を読み込んでやっと判明しました。

タキには年の離れた妹がいましたが、妹が死んだので

その妹の子どもを引き取って育ててあげました。

その男の子が結婚して出来た子どもが健史です。

健史のお母さんにしてみれば、タキはお姑さんで、家事に関してはスペシャリストだし口うるさいしであまり良い印象はなかったらしいです。

イタクラショージを読み解く

小さいおうちが「板倉正治」の物語と感じたのは

彼が描いた赤い屋根のおうちの16枚の紙芝居がどのようなものか説明されていたからです。

長方形の絵の中央に、丸囲みで家の様子が描かれています。少し離れて見ると、ちょうど日の丸のような輪郭が浮かびます。丸の中に、家でのワンシーンがあるのですが、玄関、庭、茶の間、応接間、縁側、ポーチなどで繰り広げられる日常が、驚くほど詳細に切り取られています。

丸で囲まれた世界と、丸の外側の世界が、交わらずに同時進行で語られます。

丸囲みの世界には、登場人物が三人います。若い、姉妹のような女が二人と、どちらかの息子か、弟のようにも見える男の子が一人です。女たちはたいてい家事をしていて、男の子は紙飛行機や玩具で遊んでいます。

そしてその外側の部分は

どう描かれていたかいうと

前半が平井家との思い出ともとれる背景ですが、後半は戦争体験が色濃くなっています。

イタクラショージは生涯独身でしたが、その理由として

時子が好きだったことと

軍隊経験で何か非常に強い人間性を脅かされるような体験をしてしまったこと

が原因ではないかと言われています。

イタクラショージの作品にはおどろおどろしいカルト的なものが多くありましたが、

丸の中に囲まれている三人は「聖なるもの/守られたもの」として最初から最後までまったく傷つけようとはしていません。

時子だけではなくタキや恭一ぼっちゃんがいるあの赤い屋根のおうちが板倉も大好きであったのだと感じます。

物語の文頭に

近くにイーゼルを立てて、若者が写生をしているとあります。

あの頃から板倉は赤い屋根のおうちに住んでいる三人を愛おしく感じていたのかもしれません。

赤い屋根のおうち

時子が応接間で一人で何やら話しています。

赤い屋根のおうちを人様から褒められたときにどう対応するか

練習していたのです。

時子の愛らしいひとり芝居を想像でき、とても好きです。

みんな好きになってしまうのよと睦子がいうのもうなづけます。

人を好きにさせてしまう時子の魅力を表している場面です。

時子は赤い屋根のおうちが大好きでした。

タキもまた自分の部屋や平井家のお勝手が大好きでした。

タキの部屋は

小さな板の間で出来た2畳少しの空間とタキ専用のトイレが全てです。

要所要所に家を大事に思っている場面が出てきます。

時子とタキはそれぞれがとてもこの家を愛しています。

未開封の手紙 時子の気持ち・タキの気持ち

タキが

戦後、赤い屋根のおうちを訪ねました。

空襲で焼けてしまい、門構えしか残っていませんでした。

防空壕の中でご夫婦が亡くなっていたことを知ります。

恭一ぼっちゃんの行方が気になりましたが、探すことはしなかったようです。

探したかったしお会いしたかったと思うのです。

そうもいってられない世の中で自分が生きていくのでいっぱいであったのです。

タキの葬式後、「健史へ」と書かれた箱のなかに

未開封の手紙を見つけます。

差出人は平井時子となっています。

数年後、恭一ぼっちゃんに会いにいった時にそれは開封されます。

明日、昼の一時にお訪ねくださいませ。どうしても、お会いしたく思います。

必ずお訪ねくださいませ。

健史は驚いたと思います。

タキの回想録によると

板倉は次の日訪ねてきています。

タキは

気をきかせて、外に出て農作業をしていたと書いています。

手紙を渡さなかったけれど、板倉は自分の考えで最後に時子に会いに来たのでしょうか。

それとも

本当は板倉は来なかったけれど、回想録には嘘を書いたのでしょうか。

だから泣いてしまったのでしょうか。

手紙が残っていることから

本当は板倉は来なかったのでしょう。

何十年もたっていることですが、

それでも真実を

手紙は渡していないということを文章に書けなかったのかもしれません。

もし私が手紙をお渡ししていたら、板倉さんはいらしたはず、

と空想して書かれた文章なのかもしれません。

タキは板倉にも恋をしていたと思います。

嵐の夜や鎌倉で板倉に男の人の匂いを感じますが、それがタキ本人に自覚させない恋ではなかったかと思います。

タキは、時子と赤い屋根のおうちを守るために板倉の下宿にいくのを引き止めました。

ですが、タキの気持ちも少なかれ入っていたに違いありません。

タキは手紙を渡しに下宿までは行ったのでしょうか、本当のところはわかりません。

手紙は渡さず、板倉にお別れは伝えたのかもしれません。

もしかするとお慕いしておりましたとか、告白をしたかもしれません。

戦地に行ったらもう無事では戻れない雰囲気が濃かったと思います。

物語の中のタキは告白をしそうな女性ではないのですが、戦争中ということでみんながみんな普通ではなくなっていた時代です。

あったかもしれません。

タキは

時子にも恋をしていたと思います。

奥様が最近妙なのですと睦子に言ってしまうところがあります。

そして泣いてもしまいます。

タキは気づいていないのですが、

睦子にはわかっていて

わたしたち、二人とも第三の路をゆくことになるのかもしれないわねえ

と言います。

恭一ぼっちゃんが語る時子

未開封の手紙を読んだ後、

八十近くなって母親の浮気の証拠を見るとはねと言いつつ、次の言葉が

母は少し困った人でした。いつもどこかアンバランスで、あぶなっかしくて、誰かの庇護が必要な人だった。僕はいつも、もっとあってもいいはずの母親の関心が、一人息子に注がれていないことに不満でした。あの人は綺麗だったから、誰もがあの人を好きになる。また、好きにさせるのが上手でした。たしかに母はそういう人でした

睦子と似たようなことを言っています。

だから時子のせいじゃない、仕方がないことなのです、誰もが好きになってしまうのだから。

1945年8月15日 終戦記念日

健史がタキの心覚えの記を読み、こんなはずはないと言う場面が何度かあります。

日本は戦争をしているのだから、こんなにのんびりとは生活できないだろうと言うのです。

実家の父(当時9歳)にこの頃の話を聞いたことがあります。

物資をお国が管理しているから仕方がないと言っているのは本当でした。

配給で足りないものを闇市で補えると言ってもいました。

お腹はいつもすいていたけれど、仕方がないと思っていたそうです。

日本が負けるということを少しも疑っていなかったのです。

父家族は3月10日の東京大空襲にあいます。

そこでやっと田舎に疎開したそうです。

そのくらい危機感を感じていませんでした。

新聞やラジオも本当のことを伝えていなかったのです。

何もかも焼けてしまって、今の墨田区から上野(台東区)の線路を走る列車が見えたそうです。

交通手段がなく、歩いて上野まで行き、疎開したそうです。

まとめ

映画も小説もどちらも素晴らしいと思える作品でした。

小説から読んで自分の想像力をかきたててからの映画がベストだったかもしれません。

映画の俳優さんたちがどうしても浮かんできてしまうのです。

タキ役の黒木華さん以外のタキはありえないと思えるくらいでした。

お読みいただきありがとうございました。

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