この本は「林眞須美」が
家族に愛されているママであると教えてくれました。
彼女は保険金詐欺をしました。
お馬鹿さんでした。
保険金詐欺をしなかったら、どうなっていただろうと
彼女自身、何度も考えたと思います。
保険金詐欺での罪はすぐに認めています。
今でも和歌山カレー事件、カレーにヒ素を入れたということは無罪を訴えています。
ラジオから流れるシルエットロマンス
ラジオから
何とも切ないお手紙が届きました。
この曲はすぐにかけます。
一日も早くかえてあげたくて、7月22日、来週がハッピーバースデーだけれど、
今日すぐにかけます。
リクエストハガキから
ママへ。
39歳のお誕生日おめでとう。
私たち4人はもう2年もママに会っていません。
いつもママは10時から12時までこのラジオを聴いています。
今日もきっと聴いていることでしょう。
この番組を1番楽しみにしています。
ママの大好きな曲、シルエットロマンスをリクエストします。
ラジオから
ママの名前は書いてありませんね。
きっと聴いていることでしょう。
それではお聴きください。シルエットロマンス。
林眞須美死刑囚
私もこの曲が大好きです。
耳をすまして曲が流れてくるのを待ちました。
この曲はイントロがとても長いのです。
ナレーションの後に
そのイントロに乗せて、アナウンサーがリクエストした4人の名前を読み上げました。
私は胸がつまり、声を出して泣いてしまいました。
紹介された4人の姓は紹介されませんでしたが、
4人の名前はまさしくわが子のものでした。
多分この本の帯に書かれていたかもしれない文章を読んで、
自然に涙が流れてきました。
お互いを思いやる家族像がわかる。
林眞須美は保険金詐欺を認めていますが、
カレー事件でヒ素を入れたことは一貫して否定しています。
保険金詐欺でヒ素を使用していたことから、逮捕され
その後、和歌山カレー事件でも逮捕、勾留、
死刑判決が出ています。
世の中に犯罪者はたくさんいて、
その犯罪により
夫婦関係、親子関係や兄弟姉妹関係、親戚関係が破綻しているところがほとんどだと思います。
林眞須美の家族も
母親との関係を断ち切ろうと思った時期もありました。
家族との書簡のやり取りを読むと、
お互いを思いやっているなと
すごい家族だなと思いました。
長女からの手紙(たくさんの手紙から抜粋)
平成11年2月16日
私達4人は本当に大丈夫です。
もうすぐ春がきます。
それまで我慢してください。
人間、ときにはがまんも必要です。
私達4人は何年でも待っています。
4月からはじまる裁判が何十年かかっても、あなた達を信じ続けます。
ニュースや新聞がいくらひどいことを書いても、
我が命有る限り、何十年でも信じます。
春夏秋冬、何十回繰り返してもずっとずっと離れていても、
離れていてこそ心が通じ合っています。
長い長い裁判がはじまりますが、頑張ってください。
体には気をつけてください。
そしてあなた達に会える日を楽しみに待っています。 From長女
*あなた達というのは林眞須美死刑囚と林健治被告人。
長女の手紙を読んで
平成10年の10月4日に保険金詐欺で夫婦共々逮捕されてから
林眞須美の4人の子どもは児童相談所からの児童養護施設(学園)で
壮絶な暮らしをしていました。
それは林眞須美死刑囚長男の「もう逃げない。」に
詳しく書かれています。
林眞須美死刑囚は最初黙秘していたということも原因らしいですが、
刑が確定するまで面会や手紙のやり取りを禁止されていました。
(接見禁止)
林眞須美は毎日、逮捕当日からノートに子どもらにメッセージを書き続けました。
弁護士さんを通じて、それは子どもらに伝えられたそうです。
(ということは、
林眞須美死刑囚は弁護士さんに口頭か手紙で伝え、
その手紙は渡すことできたのでしょうか。わかりません。
弁護士さんが子どもらに口頭?で伝え、
子どもらは弁護士さんにまた口頭か手紙でメッセージを伝えていうことになります。)
平成17年3月に接見禁止が解け、
4人の子どもへの思いや
7年間の私の知らない子どもらの生活を
本にしたいと
1000通を超える手紙のやり取りが本になったらしいです。
平成11年2月11日、勾留131日目、もう死んでしまいたい。
と弱音をはく林眞須美死刑囚がいます。
事実、何度か自殺未遂のようなこともしています。
平成12年5月、
刑務官の目の前で釘と針金を飲み込みました。
体重も20㎏以上痩せていたこともあり、自殺ではないかと言われています。
平成12年9月1日二女にあてた手紙
8月25日の夜ね、39年間で初めての気分になったわ。
一瞬だけど、何ともいえない、
海底に落ちてしまっている自分を深く感じたわ。
もう、這い上がれそうにない深い深いところに落ちてしまったようなのね。
今までに感じていない、大きなものを強く、一瞬に感じたわ。
子どもらから見放されていたら、命があったかどうか。
長女の死
2021年8月「創」の林眞須美さん長女の死
この雑誌には自殺した理由等詳しいことは書かれていません。
林眞須美長女は2021年6月9日、
再婚相手との子ども4歳と関西空港連絡橋から飛び降りて自殺してしまいました。
その日、林眞須美長女の自宅から前夫との子ども16歳が息をしていない、血をはいていると救急に電話がありました。
その数時間後に飛び降りたと言われています。
結局、再婚相手の虐待が前夫の子どもにあったことがわかりました。
林眞須美長女は死んでしまったし、何が原因だったのかはわかりません。
林眞須美長女は1998年10月4日、両親が逮捕されてから、
兄弟の面倒を一生懸命みてきました。
施設を出てからもアパレル業界で一生懸命というか
多分死に物狂いで働いたんだと思います。
収入は50万~100万あったと二女が手紙で書いています。
妹や弟に高価なプレゼントをあげたりもしています。
そしてそれを林眞須美に愚痴るような手紙もありました。
妹や弟は私がいるから、いい思いもしてるけど、
私にはそういう人はいないから大変だったと。
報道によると林眞須美長女が飛び降りた日、
5月31日付けで林眞須美は再審請求したということでした。
まとめ
繰り返しますが、
1998年10月4日、両親が逮捕されてから、
4人の子どもらは必死に生きてきました。
そして、両親を見捨てもしませんでした。
4人は両親のことを知られると働く機会を失ったり、イジメにあったりしました。
父親が出所の時も、マスコミにバレないように、
父親に住所を教えてくれるな
自分のことを父親に話してほしくない
など、言っていました。
母親にはママのことは話していて、ついてこれん奴とは付き合わないというような強気な文面もありました。
それは本当だったのかわかりません。
私を含めて、世間の人はトラブルや面倒とは距離をおきたい気持ちが勝ってしまうと思います。
生田暉雄弁護人による再審請求は一体どうなっていくのでしょうか。
引き続き、関連文献等を調べていきたいと思っています。
お読みいただきありがとうございました。
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