介護はやった人にしかわからないことがあると思います。
介護する老人がどういう状態なのかも重要だと思います。
せめて、人間としての意識があれば、介護者に労いの言葉をかけれるかもしれない。
そういう老人は少ない。
介護を必要とする老人は頭もおかしくなっている人が多いと思います。
だからこそ、長生きできるんだろうなって思います。
人にしてもらいたいと思うことは何でも
あなたがたも人にしなさい
マタイによる福音書7章12節
映画冒頭に出てくる言葉です。
主人公の斯波が聖書にアンダーラインを引いていました。
斯波はこの言葉をこう解釈したのだなと思って映画を観ました。
あらすじ
介護士でありながら、42人を殺めた殺人犯、斯波(しば)宗典に松山ケンイチ。
その彼を裁こうとする検事、大友秀美に長澤まさみ。
社会に絶望し、自らの信念に従って犯行を重ねる斯波と
法の名のもとに斯波を追い詰める大友の互いの正義をかけた緊迫のバトルが繰り広げられる。
以上HPより抜粋しました。
介護する人と介護される人。
重いテーマではっきりした答えが出ないまま映画は終わりました。
斯波宗典(松山ケンイチ)①
仕事を辞めて、アルバイトをしながら、
父親(柄本明)の介護をしていました。
父親は脳梗塞で右手?右半身が不自由でしたが
最初のうちはうまくいっているようにみえました。
左手だけで折り紙をさせる等、微笑ましいシーンもありました。
ただ金銭的に厳しくなってきたので、
行政を頼ろうとするとそれはできなくて、
このままでは共倒れというところで
斯波は父親に煙草を煮詰めて作製したニコチンを注射し、
死亡させるのです。
父親が逝った後、斯波は枕の下から折り鶴を見つけました。
トレーニング中の父親が鶴は難しいからできないと言っていたのに、
折ることができていたのです。
悲しい気持ちでいっぱいになりました。
斯波に感情移入すると
斯波を殺人者としては見られなくなりました。
この親子にとって、これは必要な死だったと私は思ってしまいました。
大友秀美(長澤まさみ)検事 ①
両親は20年前に離婚しています。
母親(藤田弓子)は元気な時から娘の迷惑にならないようにと考えていました。
現在、車椅子生活ですが、高級老人ホームに入っています。
大友のことはわかっていますが、認知症は進んでいるようです。
父親は孤独死していました。
大友のところに連絡があったのですが、彼女はそれを拒否、ほったらかしました。
20年も会っていないなら、血の繋がりがあっても当然の行動だと思います。
しかし、大友は母親にまだ父親の死を話せずにいました。
斯波宗典 ②
介護サービスセンターでの斯波は誰よりも働いていて、神のような介護士でした。
しかし、彼は42人殺していたのです。
斯波はそれを救ったと表現していました。
大友に「自分勝手な正義を振りかざしただけ」と言われるも
「あなたは安全地帯から正論を言っているだけだ。この世の中には穴があり、そこから抜け出せない人もいる」と
言い返しました。
逮捕されたのは
梅田美絵(戸田菜穂)の父親を救った(殺した)夜、
その家にセンター長が合鍵を使い、泥棒に入ったのです。
センター長ともみ合いになり、
センター長は階段から落ちて死んでしまいました。
事故でした。
ですが、その時、救いに使う注射器ポーチを落としてしまったのです。
大友検事 ②
大友と助手の椎名幸太(鈴鹿央士)の調べで
この介護センターでは他のところより死亡者が多いと気がつきました。
防犯カメラにも死亡時刻前に車を運転する斯波が映っていました。
斯波はあっさりと自分がやったと認め、それを救ったと言ったのです。
斯波がお世話をしていた利用者家族の受け取り方もそれぞれでした。
利用者の娘 羽村洋子(酒井真紀)
シングルマザーです。
子連れでの介護には限界がきていました。
後でわかったのですが、
斯波は利用者の家に盗聴器を仕掛けていました。
おばあちゃんが排泄物をそこら中に巻き散らかす様子を聞いていました。
斯波が利用者を救った後、羽村は憑き物が取れたように明るくなりました。
第二の人生を歩み始められそうです。
斯波が母親を殺したことはわかっていても何ともいえない感じでした。
「斯波さんがやったなんて信じられないし、救われたという思いもある」
彼女は年上の男性と再婚することにしました。
相手の男性は洋子が母親の介護で大変だったのを知っていて、
自分は迷惑をかけてしまうかもしれないと言います。
洋子は
きっと誰にも迷惑かけないで生きている人なんていない
と言うのでした。
利用者の娘 梅田美絵(戸田菜穂)
裁判を傍観していた彼女は
「お父さんを返せ!」と叫び、退場させられていました。
彼女もまた限界の精神状態に見えました。
けれども、羽村とは違う反応でした。
美絵は父親にまだ生きていて欲しかったのです。
斯波と大友検事
2人の対峙するシーンは迫力がありました。
これはぜひ映画を観ていただきたいと思います。
大友検事が斯波と
自分もまた両親の介護ということに苦しみなながらも、
斯波にそれは違うと言っていくところは感動ものでした。
折り鶴
利用者さんのお葬式には斯波が折った折り鶴がありました。
何かの伏線かなとも思っていたら、最後の最後で涙腺崩壊でした。
斯波の父親の折り鶴には
俺の子どもとして生まれてきてくれてありがとう
と書かれていたのでした。
45人が殺されたやまゆり園の加害者
この映画を観ていたら、思い出しました。
しかし、
この犯人は斯波とはまるきり違います。
詳しく書いていて面白い記事がありましたので、ご紹介させてください。
やまゆり園の植松死刑囚を取材した方の記事です。
まとめ
年を取った親は
もうこれ以上迷惑をかけたくない
と死んでしまいたいと思うのだろう。
その子どもらは
どんな状態でも生きていて欲しい
と思ってしまう。
介護する側とされる側は一緒の方向を見てはいません。
介護する側でもう早く死んで欲しいと考えたとしても
斯波のようにはできないのが人間なんだと思います。
私の母親はガン末期でモルヒネでさえ抑えられない痛みが襲い、それに耐えて生きていました。
死ぬに死ねないと言っていました。
父親は間質性肺炎で酸素飽和度が低くなりそれは苦しい思いをしたのに
何日も死ぬことはできませんでした。
時折、楽に逝かせてあげてくださいと祈りました。
でも私が会いに行った時は生きていて欲しかったです。
私は生きていて欲しかったです。
もしかしたら、両親が認知症だったら、
(認知症になるより若く死んでしまった。)
考えが変わったかもしれません。
斯波は行政に見捨てられ、行き詰っていました。
もし、食うには困らなかったら、斯波は介護していたでしょうか?
していたような気がします。
自分の父親を殺してしまった時、斯波は崩れてしまったのだと思いました。
考えさせられる重いテーマの映画でした。
お読みいただきありがとうございました。