五月人形を飾り、結婚する子どもの健康を祈ってみた。

五月人形 生活・暮らし・家族

次男が7月に結婚式をあげます。

本当にいつぶりか忘れてしまいましたし、

飾り方も間違えているかもしれません。

親はいつだって親だし、子どももいくつになっても子どもです。

幼かった息子らの幸せを願います。

もともとは中国の行事

端午の節句はもともと古代中国の季節行事である五節句のうちのひとつです。

七草の節句

桃の節句

端午の節句

竹(笹)の節句

菊の節句

とあります。

節句とは季節の変わり目という意味で

季節の変わり目には邪気が寄りやすいので

季節ごとの飾りとお供えものをして

厄払いをし、無病息災を願う風習からきています。

鎌倉・室町時代の日本

5月5日の子どもの日。

これは最近できたそうです。

旧暦5月は現在の6月でした。

つまり梅雨です。

鎌倉・室町時代の武士の習慣で

梅雨入りする前に兜や甲冑を日光に当てて干す習慣がありました。

身を守る鎧兜を御守のように飾るというのはこういうところからきているそうです。

ということで、これは日本がアレンジしたのですね。

こいのぼり

この形がスタンダードです。

歌詞によると

大きいまごいはお父さん

小さいひごいはこどもたち

ということからお母さんはいませんね、

どうしてでしょう。

てっきり黒:お父さん・赤:お母さん・青:子ども

ってずっと思ってました。

将軍家では跡取りとなる男子が生まれると、

のぼり旗を掲げて皆に知らせていました。

その後、

武家屋敷でもそれを真似るようになり

家紋を入れたのぼりや吹き流しを掲げるようになりました。

(ふきながしってなんの意味があるのかと思っていましたが、

将軍家の真似をした武士一家、

そしてそれは裕福な商家も真似をし、だんだん下々の者に伝わっていったのですね。)

町民は鎧兜を持っていないし、家紋もないです。

武士の幟に対して、

江戸の町人たちは「鯉のぼり」を作って「端午の節句」のお祝いをするようになりました。
中国の伝説では「鯉が黄河上流の竜門の滝を登りきると竜になり昇天する

と言われていたため、出世成長の証として「鯉のぼり」を揚げるようになり、その風習は全国に広がりました。
鯉は生命力も強い魚だと言うことから、「子供が健康に育つように」との意味も込められています。

子どもの健康を祈る行事

諸説あるみたいです。

昔は子どもが育つのも大変でした。

将軍家の跡取りといえど、病には勝てず、

将軍は正室の他側室にも子どもを産ませ、将軍家の繁栄を頑張っていました。

本当はひとつの五月人形に対してひとりの子どもだけということでした。

子どもごとに五月人形を用意しないといけなかったのですね。

当たり前といえば、そうでした。

まとめ

大人になったふたりの子どもたち。

役目を終えた五月人形は処分ということになるのですが、

もうしばらくはまた箱に戻っていただいて、

何かの時にお目見えしてもらおうと思いました。

お読みいただきありがとうございました。

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